七つの子の教育学

大学教員による七人の子育てと教育問題についての雑感

【嘆き】児童生徒の前で若手教員を叱責する行為はやめて欲しい!

東京都教育委員会が若手教員に大規模なアンケートを行ったそうです。

「感情的に部下を指導する」「今忙しいから(話しかけないでください)」といって質問できる雰囲気を作らないなどは学校以外の職場でもありそうです。

 

ただ、学校現場で最も大きな課題だと思うのは、「生徒のいる前での叱責」ではないでようか。これほど一人の教員の自尊心を傷つける行為はないといってよいでしょう。

この件、妻(昨年まで小学校で勤務)や卒業生(現場の小学校教員)からも耳にしており大変憤りを感じていました。学年主任や中堅の教員が児童の前で若手の教員を指導するというのです。1年目の卒業生からの報告では、学年主任の教員から授業の進行について自分のクラスの児童の前で「その授業は何の意味があるの?」など言われているとのこと。こんなこと繰り返されたらどんなにタフなメンタルの持ち主でも心が折れていくはずです。

これは、決して若手教員に指導することを咎めているのではありません。若手の指導はその場でするのではなく後で職員室でやればよいのです。1組の学年主任も2組の新任教員も3組の中堅教員も児童生徒の前ではみんな一人の立派な先生なのです!

大学でも模擬授業や教育実習で練習していますが、1年目からうまくできるはずがないという前提に立って若い教員を育てて欲しいと強く願います。

20年も前に私がいた現場ではちょっと考えられないです。

かりにどんなに指導力がない先生でも児童生徒の前で指導されることなんて考えられないし、たとえ自分と反りが合わない先生がいたとしてもその先生を児童生徒の前で批判することは考えられませんでした。これは教員間での暗黙の了解であったように思います。

それはなぜか、たとえば人気者になろうとしてA先生が指導力のあるB先生の悪口を謂うとします。そうするとA先生は児童生徒にとって「いい人」になれるかもしれませんが、B先生のその学校現場における指導力が低下します。そうすると結局、学校全体としての指導力の総量は低下することになるのです。

学校現場はまさにチーム学校でそれぞれが役割を担って指導しているのですから。

かく言う私も先日、ある先輩教員から大学生の前で私の研究領域を貶めるような発言をされました…。(受け流すことはできますがやはり不愉快であります)

そんな現場だったらブラックと言われてそりゃ若手教員は辞めていくのも無理ないよね、という感じです。

みんな先生たち心に余裕がないのかな。

学校現場が若い先生もベテランの先生もお互い気持ちよく働ける場所となって欲しいです。

 

 

 

 

本のタイトルに釣られてしまった…「読書離れというウソ?」タイトルは大事!

先日、ある書店で飯田 一史『「若者の読書離れ」というウソ- 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか』(平凡社新書 、2023)というインパクトのあるタイトルが目にとまりました。

日頃から本を読まない若者に苦労している大学教員としては、正直「若者の読書離れというウソ」というタイトルに対して「本当なの?」と若干訝しむ気持ちが湧いてきます。それでも購入して読んでみることに。

ところが、このタイトルに対応する記述は第1章のみ。さらにここで書かれてる内容をまとめると、以下のようになります。
・「小中の書籍の読書量はV字回復を遂げた」(p.36)
・高校は「ひと月あたりの平均読書冊数は1冊台で長らくほとんど変わっていない」(p.36)
・「大学生の不読率が大幅に上昇しているのは事実だ」(p39) 

これを裏返せば本を読むようになったというデータがあるのは小中学生だけであり、高校は横ばい、大学生は読まなくなっているということです。

「若者」をどう捉えるかという議論になりますが、一般的には子どもと成人の間の層を指し示すことが多いように思います。そう考えると中高生から大学生までの10代後半から20代前半と考えるのが自然ではないでしょうか。本書の副題は、「中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」というのでそのあたりを若者ととらえているのかもしれません。高校生は、横ばいなので「読書離れ」ではない、と言えないことはないです。

しかし、中学生の読書量増加の根拠は全国学図書館協議会学校図書調査です。この調査では、本を読まない不読率をに算出する際、「1ヶ月に0冊を不読者としている」ため、学校の図書活動(朝読書など)で本を1冊でも読んだ場合には不読者にはなりません。また、不読率問題を考える上で重要な学校以外での読書時間についてはまったく考慮されていません。(別の調査では中学生も読書時間が減っていることがわかっています)

これで、なんで「若者の読書離れ」がウソになってしまうのでしょうか?以前よりもずっと読まなくなっているとは言えないかもしれませんが、読んでいない状況はそれほど改善されていないし、大学生は明らかに読まなくなっている。

ちょっとタイトルと内容の齟齬が大きいような不誠実な印象を受けました。心配なのは、本書を読まずにタイトルだけ見て、「どうやら若者は本を読むようになっているらしい」という事実と異なる情報が一人歩きしてしまうのではないかということです。

著者のフォローを二つしておきます。一つめとして、第2章以降は副題のとおりの内容であり読み応えがあります。若い読者が好む本の傾向を丁寧に分析していて興味深いです。

二つめとして、推測ですが本書は副題が本来の内容を表したタイトルであったのだろうと思います。売れる本にするためにタイトルについては編集者などの商業的な意図が入っている可能性があります(この場合、著者を責められない)。

今回は、見事にタイトルに釣られてしまったという印象です。こうしたタイトルに釣られずに、さらに内容についても鵜呑みにせず批判的に分析できる知識と教養を身に付けていたいものです。

いずれにしても、結論としてブログも含めて人目を惹くタイトルを考えることは大切です!

 

若者は友だちの名字を覚えていない!?

 新年度になって数ヶ月経ち、大学生と面談をしています。

 学生「最近、ハナコ(仮名ファーストネーム)とかとよく遊んでます」

 私「ハナコって…えぇーっと?、下の名前だと出てこないな…。名字は?」

 学生「えっ、あいつ名字なんでしたっけ?」「あぁタナカ(仮名:名字)です」

 私「あぁ、タナカさんね!」

 

この「タナカ(姓)ハナコ(名)」さんについて語るとき、私たちおじさん世代は「タナカ(姓)さん」と認識しており、学生は「ハナコ(名)」としか記憶していません。そのため会話が円滑にいかないことがあります。

私たちの子どもの頃はクラス内において名字で呼ばれることが多かったように思います。クラスに同じ名字の児童生徒が複数いる場合には、先生からもクラスメイトからもファーストネームで呼ばれていたように思います。

名字で呼び合う文化は、若者が誰でもファーストネームで呼び合う関係よりも一見するとドライな関係のようにも見えます。しかし、一方で私たちの世代がファーストネームで呼ぶときは、普通のクラスメイトの関係から特別に親しくなったときであったように思います。友だちとの距離感が縮まり、ステージが一歩進んだような感じでしょうか。

これと同様にいつから「おまえ」とよべるか、というのもかつては一つの親しさのステージが進んだように感じたものでした。(これは今でもあるのかもしれません)

今どきの若者は一律にファーストネームで呼び合っているようなので友達関係における親しさの距離感(序列?)が見えにくそうだな、と勝手に思ってしまいます。SNSを誰まで開示するかなどで序列をつけているのでしょうか。

どちらがいいということではないですが、言葉の使い方の変化を感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【衝撃】楊枝が息子の小指を貫通!

一昨日の出来事。日曜日なので私が妻と子ども達にタンメンをつくりました。

(私は中華鍋で料理することが好き)

突然、四郎(第四子の三男)が「どうしよう!」と。

指を見てみると、小指の指先を楊枝が貫いています!

出血はありませんが、とにかく痛そう。

大昔、ニュースになっていた「矢ガモ(いたずらによって矢が刺さった状態の鴨)」状態です。

楊枝を抜いたら血が噴き出すのか?

救急車を呼ぶ?

休日に開いている外科はあるのか?

もう我が家は大パニックです。

さすがに中学生になった四郎は痛みをこらえて落ち着いています。

とにかく、病院へ。

保健センターが市内で休日診療の当番の外科を教えてくれました。

「自転車こげるか?」

我が家は自動車をもっていないので四郎も痛い小指でハンドルを支え、自転車をこいで病院へ。(車のない家で本当にごめんねという気持ちです)

私が付き添います。

でも、そもそもなんで小指に楊枝が突き刺さるのか?

コンビニなどでもらえる割り箸を一気に立てて開けようとしたら同封された楊枝が小指に刺さったみたいです。(指を突き刺すほどそんなに勢いよくあけなくてもいいのに…)

でも、私も実は割り箸の袋を開けるときチクッと楊枝が刺さり、僅かに出血した経験があります。

結論として恥ずかしながら親子で行動パターンは一緒ということです。

お医者さんは麻酔注射の後、楊枝をさっと抜き、化膿止めの治療をしてくださいました。一日で包帯も取れ、思ったより軽傷でした。休日の診療に感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

食べたいものが競合したとき兄弟間でのジャンケンはしない。

以前、我が家の教育方針で、「上の子(お兄ちゃん、お姉ちゃん)なんだから我慢しなさい!」と言わないことを取り上げました。上の子を優先することで、弟や妹にやさしくなれると考えているからです。

tiangou1030.hatenablog.com

上の子を優先するという「長幼の序」(儒教でいう五倫の一つです)を重視しています。(ちなみに他の4つは「父子の親、君臣の義、夫婦の別、朋友の信」です)

 

もう一つ、上の子を優先していることがあります。それは、食べたいものが競合するときにジャンケンをしない、ということです。

近所のパン屋さんが閉店間際に半額セールをしてくださいます。(我が家は子供7人の9人家族なので4人家族の倍くらいの食費がかかります。お恥ずかしい話、食料品の「半額」の文字に敏感になってしまいます。)

惣菜パンや菓子パン類がとても美味しく、大量に購入してこれを夕食にしてしまうことがありますが、売れ残った商品のため、同じものを複数買えないことが多いです。そのため、誰がどのパンを食べるかという問題が生じます。

こうした時に、我が家ではジャンケンはせず、一郎、二美、三郎、四郎、五郎、六美、七郎の順で欲しいもの取っていきます。

これを書くと、下の子達がかわいそう、と思われる方も多いと思います。確かに欲しかったパンが取られてしまって涙ぐむ子どももいます。しかし、こんな時、上のお兄ちゃんやお姉ちゃん達は、弟や妹に「○○は何が欲しかったの?」と尋ねて、「じゃあ半分あげる」といって分けてくれるのです。

このように、上の子達が自分たちは親から優先されていると感じられるようにしてます。格好よく言えば、いわゆるノブレス・オブリージュ(高い社会的地位には義務が伴うことを意味するフランス語: noblesse oblige)を身につけて欲しいのです。自分たちは早く生まれて優遇されているから弟や妹に優しくしていくべきであると。

とはいえ、小学生同士のように間隔が狭い兄弟だとあまりうまくいかず、残念ながら揉めることも無いことはないです…(だから子育ては難しいです)

なお、自分たちが嫌なこと(手伝いなど)の割り振りなどを決めるときではジャンケンにすることもあります。

少子化問題(4)女性の生き方の多様性が認められる社会に!

少子化問題について、考えるとき「合計特殊出生率」という平均化された数値が独り歩きすることにより、女性の生き方の多様性が阻害されているように感じます。

「女性」とひと括りにされて対策が議論されていますが、すべての女性が働きながら子育てしていくべきという一元化された価値観が前提とされていることに課題があると思われます。

あまり学問的ではないですが、女性の生き方には大まかに以下のような分類が挙げられると思います。

 

①結婚出産もできたらしたいが、何よりもキャリアを重視したい。

②キャリアを重視しているが、結婚出産もしたい。

③結婚、出産を重視しているが、時間ができたら働きたい。

④結婚、出産を重視して、専業主婦(もしくはパート)でいたい。

⑤結婚は考えていない、または結婚は考えているが、出産は考えていない。

 

現状の少子化対策の議論は②が対象になっています。以前、紹介しました赤川氏は男女共同参画少子化を防がない」と述べていましたように、「男女共同参画」と「少子化対策」を考えるには③と④のグループが出産に前向きになることも重要です。

tiangou1030.hatenablog.com

以前、我が家の現状をブログに書きました。今年4月から妻がフルタイムで働くことになり、最初からこの生活スタイルで子育てしていたら一人、頑張っても二人が限度で、三人ということは考えられないな、と感じています。(知人でご夫婦でお勤めしながら三人子育てしている家庭があります、本当に頭が下がります…)

長年、妻が長い間、専業主婦(またはパートタイムの仕事)であったため幼稚園のママ友たちも当然③と④のグループに属す方が多いです。しかしながら、仕事が優先でないという女性の生き方に対する否定的な見方(例えば単なる怠け者として捉える)や妻を専業主婦でいさせることに対する夫側への風当たりの強さがあることも事実です。子育てしながら専業主婦をするのも大きな社会貢献の一つであることが大きな声で言えないような風潮があるのです。また、夫側も「妻が専業主婦です」と職場などで明かすと「前近代的」「封建的」「男尊女卑」的な夫像として批判の対象にされることがあります。(ちなみに、「妻が専業主婦を望んでいる」ということは信じてもらえないことが多いです)

他方、大学の職場で女子学生たちに訊くと結婚、出産願望は高いです(教育系ということもありますが)。また、③、④のグループのように子育てを重視したいという考えをもっている学生も多いです。こうした大学生の現状は報道で伝えられません。それは、「若者は」とひと括りにされてしまうため、ほとんどの若者に「結婚願望がない」「恋愛しない」などの誤解が生じてしまうのだと思います。

つまり、女性の生き方として潜在的には出産したい、さらにこれを優先させたいと思っている女性がある程度存在しているにも関わらずこれを後押しできていない現状があると思うのです。もちろん、①②のグループのようにキャリアを重視ながら子育てできる環境も整備すべきですし、また、⑤の結婚しない、出産をしないという生き方も認められるべきなのです。

引き続きこの女性の生き方の多様性の問題について考えていきたいです。

 

 

 

少子化問題(3) 子育てにかかる費用の総額を示すことは百害あって一利なし

皆さんは、ニュースや新聞等の報道で「子育てにかかる費用の総額」を耳にしたことがあるでしょうか。小学校から大学まですべて公立なら700万円程度、すべて私立なら2000万円程度の教育費(学費だけでなく食費、衣料費、レジャー費などを含む)がかかるというものです。

少子化対策を考える時、これから結婚や出産を控える若者にこの情報がどれほどの悪影響があるか考えているのでしょうか。こうした情報は、以下の文脈で使われてます。

(1)これだけ教育費がかかるのに少子化対策を怠っているとして政府を批判する。

(2)これだけ教育費がかかるので金融商品(保険、投資など)を売り込もうとする。

 

しかも、これらの試算では、少子化対策内閣府が2010年3月に発表した「インターネットによる子育て費用に関する調査」の報告書という10年以上前の古い資料が今でも存在感を発揮しています。

こうした、子育てにかかる費用を示すことは不安をあおり、多く若者が結婚、出産をためらうことでしょう。

しかし、実際に子育てをするときに向こう20年の総額まで考えて子育てをすることはほとんどないはずです。子どもを授かることから神秘的な出来事です。子育てが機械のプログラムのように進んでいくのではないのですから。親たちは子どもが成長して感じる喜びを与えられ、少し先の子どもの未来に期待を寄せて子育てをしているのです。

7人を育てている親として言っておきたいことは大学だけが異常に出費が大きいということです(大学だけ私立の場合です)。

もちろん小さい頃の子育てにもお金がかかります。しかし、高校生まで公立であればよほど習い事に費用をかけない場合はそれほど出費は大きくないのてす。とにかく幼稚園から大学生までの子どもを抱える親として今年強く感じたことは、大学生の費用が大きすぎるということです(大学の教員なのにこの現実に初めて直面しました、学費を払ってくださる学生の皆さんありがとうございます)。入学金等含めて150万くらいはかかります。

高校生までも塾に行けばそれなりに費用はかかります。しかし、大学が私立であるとこれまでに出費が本当に微々たるものに感じるほど高額になります。

我が家は3年後、順調にいけば一郎、二美、三郎が3人同時に大学に在籍することになります。まさに家計は火の車。これが、妻が今年度からフルタイムで働き始めた理由です。

最後に、こうした我が家の事情から岸田首相の大学無償化制度はまさに渡りに船。実現してくれたらとてもありがたいです。

ただ少子化対策として、これでもう一人産もうと考える家族が増えるかは別の問題です…、