七つの子の教育学

大学教員による七人の子育てと教育問題についての雑感

教師とは学びを支援する伴走者?

 これまで何度か取り上げていますが、教員のなり手の不足が深刻です。この議論では、「残業が多い、保護者対応が大変」など教員の仕事のマイナス面が強調されます。しかし、教員の仕事のプラス面、すなわち魅力について語られることがあまりにも少なすぎます。

 教員の本来の魅力ってなんでしょうか?これはそれぞれ異なる考え方があると思いますが、私は「教えることが好き」に尽きると思っています。わかりやすく示せば、「これは知らなかったでしょ?」「これってすごいだろ!」、みたいな教員の言動に児童生徒が「へー!」「知らなかった!」「すごーい!」と驚くみたいなやり取りが教員の快感だったのではないでしょうか。これは、見方によっては教員の自己満足とも言えますが、その自己満足ともいえる快感を得たくて教員になることは否定されることではないはずです。教育の本質は文化的な価値の継承であると見做すことのであれば、教える者が教えたい知識、技能を伝達していくことに快感を得られるのであればそれは理にかなったことであると言えるのです。

 もちろん、教員の独りよがりの授業は困ります。児童生徒の支援もできることが求められています。ですから、令和3年1月の中教審答申「『令和の日本型教育』の構築を目指して」では求められる教職員の姿として以下の様な記載があります。

 

「教師が技術の発達や新たなニーズなど学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受  け止め、教職生涯を通じて探究心を持ちつつ自律的かつ継続的に新しい知識・技能を学び続け、子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割を果たしている。その際、子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えている。」(「令和の日本型学校教育」の構築を目指して、p.22)

 

 ここでは、「子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えている」とあります。「も」とありますので、教員の仕事が「伴走者になる」ことイコールではありません。「伴走者になる」ことも必要ですが、教員が自身の関心のある分野を学び続け、その学んだことを知識、技能として伝えていくことも(むしろこちらの方が)重要なのです。

 教員の魅力が低下したことの最大の要因は、「教師がしゃべり過ぎ」「授業中に児童生徒の活動が少ない」との意見に翻弄され、教員の「教えることが好き」という考え方が批判的に捉えられる風潮にあると考えています。

 大人数の前で自分の話したいことを話す仕事(教師の仕事)なんて他にはあまり見当たらない魅力的な仕事だと思いますが、いかがでしょうか。