七つの子の教育学

大学教員による七人の子育てと教育問題についての雑感

「教育格差」の議論は何か温かみに欠けている

 松岡亮二編著『教育学の新常識―格差・学力・政策・未来―』(中央公論新社、2021)を読みました。編者は気鋭の教育社会学者松岡氏です。おもに副題の冒頭にある「格差」について書かれています。

 本書によれば「教育格差」とは、「本人が変えることのできない初期条件(「生まれ」)によって、学力や学歴など教育成果に差があること」と定義されます(p.20)。わが国ではこれらが意識されていないことが課題なのだと述べています。

 確かにこうした「教育格差」が存在することは確かです。しかしながら、この本に限らず教育社会学におけるこうした議論はその格差を環境に求め過ぎるのではないかという疑問が生じてきます。

 教育学を専門とする者が遺伝を重視し過ぎると自身の首を絞めていくことになることを承知の上で感想を述べますが、この初期条件(「生まれ」)は決して環境要因だkではなく遺伝的な要因も大きいのです。これはわが国の教育においてはなかなか口に出すことはできません。

 p.21には、父親が大卒である場合に子供が大卒になる率が高いことが紹介されています。これは大卒であると収入が高いことから、子供の貧困問題と関連させて「教育格差」を論じています。長年、教育学の研究をしてきたり、教育に携わっていたりすれば、世の中の人々が想像している以上に遺伝が大きく影響していることがわかってきます。

 それでも日本はこうした教育における環境要因を重視してきたことから、「誰でも教育環境を整えて本人も努力すればできるようになる」と信じられてきました。学ぶ側の児童生徒に対して、こうしたいわば「やればできる」と信じさせることは大切な事です。一方で誰でも「やればできる」と思い込みすぎると、「こんなにお金をかけて教育環境を整えたのにできないのはおまえが悪い」みたいなことにもなりかねないのです。その子供なりにできることを伸ばしていくことも重要な視点です。

 「社会」学というだけあってデータを駆使して集団を分析する非常に説得力のある本でしたが、全体的に「個」がどこか置き去りになっているような温かみに欠ける印象を抱きました。