七つの子の教育学

大学教員による七人の子育てと教育問題についての雑感

オリンピック体操選手の喫煙問題に思う「事柄志向」と「人柄志向」の複眼的視点

パリオリンピック体操女子代表の主将が喫煙で出場辞退となった問題です。

元陸上選手の為末大氏、元東京都知事猪瀬直樹氏をはじめ多くの著名人が「喫煙ぐらいで」と選手を庇う発言をしています。

「私は十代で馬鹿げたことをたくさんしました」為末大氏が19歳・宮田笙子の五輪辞退に実体験を交えて私見「十代は失敗をし、学ぶ世代」【パリ五輪】(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース

一方で、この判断はやむを得ないと判断するのは元大阪市長橋下徹氏や元陸上選手の武井壮氏などです。

最初に私の立場を示します。私は後者寄りです。

この二つの見解を理解するのに絶好の書籍があります。

それは、菅野仁『教育幻想 クールティーチャー宣言』(筑摩書房、2010)です。

ここでは、おもに学校教育における人間関係を考える上で重要な二つの視点「事柄思考」と「人柄思考」を挙げています(pp.23-24)。

「事柄志向」とは相手の人格に影響されずに、事実のみをクールに見ていこうとする志向性であり、「人柄志向」とは、事実に起こった事柄そのものよりむしろ事実の背景にある文脈や相手の人となりなどから判断しようとする志向性」のことであるといいます。

つまり、喫煙問題での辞退はやむを得ないと判断するのが「事柄志向」であり、選手の精神状態(喫煙、飲酒に至るストレス)やその後の将来などを考慮して出場させてもよいのではないか判断していくことが「人柄志向」であると言えます。

教育に携わっているなら釈迦に説法ではありますが、教育とは常にこの二つの志向をどのように選択していくか意志決定の連続なのです。行き過ぎた「事柄志向」は柔軟性のない画一的な教育に陥りがちであり、行き過ぎた「人柄志向」は規律を遵守する組織が崩れていく危険が伴うのです。

ですから複眼的視点をもち両方の志向を吟味検討していく必要があるのです。

これは、一度でもリーダーとして集団を統率した経験があれば誰でも理解できることだと思います。

逆にそうした経験が少ないと「人柄志向」に流れがちです

その結果、多くの人が「かわいそう」と感情に流されたり、「酷い人と思われたくない」からと甘い裁定を下してしまうことになるのです。

 

しかし、組織を考える上では体操協会の定めた行動規範に抵触した場合、罰則がないとそれを真面目に考えてきた他の選手の意欲を削いでしまうことにもつながりかねません。時には「泣いて馬謖を斬る」ことも必要な時があります。

そのためには、当該選手へのメンタルサポートや今後の選手生活を支えていく体制を丁寧に整えていく必要があるでしょう。

要するに私の立場は、「事柄志向」として辞退はやむを得ないと判断しますが、「人柄志向」として周囲の大人達が選手の精神的サポートを全力で行うべきというものです。

 

しかし、今回の私が最も大きな課題と感じたのは当該選手の所属する大学の会見でした。一部抜粋して転載します。

「また本学としては、当該選手に対する教育的配慮の点から、常習性のない喫煙であれば、本人の真摯な反省を前提に十分な教育指導をした上で、オリンピックに出場することもあり得ると考えておりました。」

これは、大学は選手の喫煙を把握していたと考えることが自然でしょう。これでは、大学が常習性のない喫煙ならオリンピック出場に支障がないと判断していることになります。おそらく、喫煙している選手を指導しても改善することができなかったということも考えられますが、黙認してきたのだと考えられます。この問題が発覚しなければ晴れてオリンピック選手なのですから。この会見から「世間を味方につけてあわよくば出場させてあげたい」という姿勢が前面に出ています。

 

オリンピックに出場させてあげたい大学の気持ちは同業にある者として痛いほどよくわかります。しかし、大学は、選手を守る責任ある大人としてこの問題を真摯に受け止め、謝罪に努めるべきであったと考えます。この大学の対応が、ますます選手への批判を強めてしまうことが心配でなりません。

 

また、多くの著名人が選手を庇っていますことに悪意はないのだと思います。しかしながら、これ以上この論争を大きくすることは選手への負担を大きくするだけでありますので現状を受け入れて事態の沈静化を図るべきであると考えます。

そのうえで、周囲の大人たちが良識ある判断をもって全力で選手を守って欲しいです。

そして、選手がこの逆境をはねのけ、選手として再起できることを願ってやみません。