七つの子の教育学

大学教員による七人の子育てと教育問題についての雑感

【名言】「ノートを写す」から、「ノートを取る」へ

明石要一『教えられること 教えられないこと』(さくら社、2021年)を読了。

同氏による『教育新聞』誌上のコラムなどを収録した短編集で大変読みやすいでし勉強になります。

自身の備忘も兼ねて重要事項を記載します。

  • 「才能」は教えることができない。引き出して育てる。(山本五十六)「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」(p.28)
  • 発問と質問の決定的な違い。それは、発問は問いを発する人が答えを知っているが、質問はそれを発する人が答えを知らない、ということ。(p.30)
  • 「論理」は教えられるが、「感性」を教えることが難しい。(野村克也)「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(p.52)
  • 「判断力」から「決断力」へ。判断力と決断力の違いを認識している人は少ない。そこに責任が無いのが判断力で、責任を伴うのが決断力。(pp.73-77)
  • 「話し方」と「間の取り方」。話し方は①数字を入れる。根拠を示すこと、②「例えば」と言ってエピソードを入れること、③結びとして「夢と希望」を入れること、の三要素である程度達成できるが、「間の取り方」を教えることが難しい。(pp.86-88)
  • 三大栄養素は、栄養素ごとに分解でき、教えることが可能である。味覚は口の中で生じるトータルなもので、分解できない。味の感覚を他者に伝えることは難しい。「味覚に敏感な人が教師に向いている」(pp.106-108)

教えられることと教えられないことが対比されて大変興味深い内容でした。

中でも最も印象に残ったのは下記の内容です。

  • 「ノートを写す」から「ノートをとる」へ。ノートを写すのは簡単であり、スマホで撮ることができる。ノートを取ることは、AI(人工知能)にはできない。AIは、何が大切かの状況判断が苦手なのである。(pp.69-71)

現代の大学生は講義(音声言語)をメモ(文字言語)に変換することが本当に苦手そうです。高校生まで黒板を書き写していたノートが主流であったらしく、何か重要である(と学生自身が感じる)かを抽出してメモに残すことに慣れていないのです。

どのような仕事についても会議等で必要ではないかと思います。今は議事録も音声から文字入力が可能ですので不要と考えるのかもしれません。でも議事録は組織のための記録であって、その言語を自身に取り込んでいくものがメモ(本来のノートの在り方)であると思いますが、これをどうやって大学生に伝えていったらよいのでしょうか。

 「ノートを写す」から「ノートをとる」へ

私の胸に深く刻まれました。私自身の課題として真剣に取り組んでいきたいです。